カイラル対称結晶構造の物理
カイラル対称性とは
カイラル対称性は、その語源でなっている、左右の手のようなペアを表す言葉です。左手と右手は手のひら(掌)を向き合わせると各指同士がピッタリと合わさります。これは右手を鏡の中に写し、その像が左手になっているとみなすこともできるので、鏡映対称を持っているペア(対掌)であるとも言えます。しかし左右の手のひらを同じ方向に向けると、親指から小指までの並び順は左右の手で逆になり、手そのものを同じ向きでピッタリ合わせることはできません。これも手が持つ特別な対称性です。同じ性質は右ネジと左ネジのペアにも言えます。このようならせんの構造を持つ物質が自然界には意外と多く、我々の体の設計図とされる遺伝子を構成する分子であるDNAは右巻きのらせん構造を持ち、なぜか左巻きは使われていません。さらに、カイラル対称な構造には、ある基準点周りでひっくり返してももとの構造に重ならないという特徴があり、反転対称性の破れた構造でもあります。
カイラル対称性がもたらす物性
物質中の電子の運動は電気伝導の源です。また電子はスピンという微小磁石の性質をもち、さらに電子の回転運動による角運動量も磁性の起源となります。通常、電子の運動に対してスピンの方向は一意には定まらないのですが、カイラル対称物質や反転対称性の破れた物質中の電子は、その運動量(進行方向に相当)と電子スピンの向きに特別な関係が生じます。典型例として、物質表面は原子の詰まった領域と真空の領域の境界であり、反転させると原子領域と真空が入れ替わってしまうので、反転対称性の破れた状態です。この物質表面では、例えば左方向に運動する電子のスピン方向は上向きであり、右に運動する電子は下向きスピンを持つという特徴を持ちます。さらに、このような電子のエネルギーは運動量に比例するため、あたかも光と同じ性質であるとみなすことができ、電子が質量のない粒子になっていると考えられます。このような極めて不思議な電子は物質構造の対称性によって生まれる「トポロジカル粒子」と呼ばれ、その実現が世界的に調べられてきました。
Remeika相化合物のトポロジカル電子
我々はそのようなトポロジカル電子が実現しうる物質として、Remeika相化合物を研究しています[1]。化学式はLn3Tr4X13で表され、Lnが希土類金属元素、Trが遷移金属元素、XがSnやGeです。元素の組み合わせにより、磁性体、超伝導、半金属などのざまざまな物性を示し、しかも共通の結晶構造でそれらの多様な物性が現れるため、物性現象の原因を系統立てて探ることが可能です。
特にセリウム化合物Ce3Tr4Sn13 (Tr = Co, Rh, Ir)は、Ceのf電子とその他の元素からもたらされる伝導電子が混ざり合って(c-f混成電子)、半金属のような性質を示す重い電子系であることが知られていましたが、なぜそのような性質がもたらされるのかは分かっていませんでした。
そこで我々はRemeika相化合物を独自に合成し、中性子散乱や放射光X線回折実験などを行って、結晶構造の対称性と電子の性質を探ってきました。その結果、これらの物質の一部は、温度が高いと反転対称性を持つ結晶構造を持っているものの、ある温度以下ではカイラル対称の結晶構造に相転移することがわかりました。すなわち同一の物質が自発的にトポロジカル電子系に変身する可能性があると言えます。さらに、上記のCe3Tr4Sn13においては、カイラル対称構造中で運動するc-f混成電子が1Kくらいの極低温まで存在することがわかり、その運動エネルギーはトポロジカル電子の光のような状態で説明できることがわかりました[2]。
今後の研究展開
先に述べたように、トポロジカル電子は運動方向と電子スピン方向の関係が決まっているはずなので、運動の角運動量とスピンによって決まる磁性にも新しい特徴があるものと期待できます。例えば、ネオジム化合物Nd3Tr4Sn13 (Tr = Co, Rh, Ir)が約2ケルビンの低温で反強磁気秩序化することが中性子回折実験や磁化測定により判明しましたが、ネオジムイオンの磁気モーメントの配列構造はかなり複雑に見えます[3]。しかも結晶構造はカイラル対称性を持っていることが放射光X線回折実験から予想できているので、この複雑な磁気構造はトポロジカル電子がもたらす特徴を反映しているのではないかと想像できます。ちなみに異なる遷移金属元素であるルテニウムで合成したNd3Ru4Sn13では、結晶構造が反転対称性を持ったまま変化せず、かつ磁気秩序化しないという対照的な性質を示しています。つまり磁気秩序化するネオジム系Remeika相化合物はトポロジカルな性質が効いていると思われます。(逆に、このルテニウム化合物でなぜ磁気秩序しないのかも不思議なのですが)。
また、光のようなトポロジカル電子は、あたかも質量がないので電気伝導がスムーズな素子を作ることにつながるのではないかと期待されており、1980年代に合成された古い物質ではあるものの、Remeika相化合物は非自明な新しい電子物性を示す舞台として科学的に興味深いと思っています。
参考文献
[2] Kazuaki Iwasa, Kazuya Suyama, Seiko Ohira-Kawamura, Kenji Nakajima, Stéphane Raymond, Paul Steffens, Akira Yamada, Tatsuma D. Matsuda, Yuji Aoki, Ikuto Kawasaki, Shin-ichi Fujimori, Hiroshi Yamagami, and Makoto Yokoyama, "Weyl–Kondo semimetal behavior in the chiral structure phase of Ce3Rh4Sn13," Physical Review Materials 7, 014201 (2023) [11 pages] (DOI: [Go to URL associated with DOI]).
[3] Ami Shimoda, Kazuaki Iwasa, Keitaro Kuwahara, Hajime Sagayama, Hironori Nakao, Motoyuki Ishikado, Akiko Nakao, Seiko Ohira-Kawamura, Naoki Murai, Takashi Ohhara, and Yusuke Nambu, “Antiferromagnetic ordering and chiral crystal structure transformation in Nd3Rh4Sn13,” Physical Review B 109, 134425 (2024), Editors' Suggestion (DOI: [Go to URL associated with DOI])